日本舞踊(にほんぶよう)は、Japanese danceの和訳、つまり日本のダンスの総称である。舞踊とは、坪内逍遥と福地源一郎による造語で、日本の伝統的なダンスである舞(まい)と踊(おどり)をくっつけたもの。逍遥の「新楽劇論」(明治37年)で使われてから広く用いられるようになった。近年日本舞踊の国際化に伴い欧米諸国やアジアにも Nihon Buyo という呼称が定着しつつある。
日本舞踊とは
神楽
神楽(かぐら)は、神道の神事において神に奉納するために奏される歌舞。神社の祭礼などで見ることができ、まれに寺院で行うところもある。
神楽は、宮中で行われる御神楽(みかぐら)と、民間で行われる里神楽(さとかぐら)に分けられる。里神楽はさらに大きく巫女神楽・出雲流神楽・伊勢流神楽・獅子神楽に分類され、これらの流れを汲んだ神楽が各地に存在する。明治以降に創作された神楽もあり、その中には多くの神社で行われているものもある。
田楽
田楽(でんがく)は、田植えの前に豊作を祈る「田遊び」から発達したとか、渡来のものとか、まだ未解明のことの多い芸能。楽と躍りなどから成る。平安時代中期に成立した。1096年には、京都の人々が田楽に熱狂することがあり、天皇にも貴族たちがその様をみせた。永長の大田楽という(大江匡房「洛陽田楽記」)。平安後期には寺社の保護のもとに座を形成していった。田楽を専門に躍るものを田楽法師と言う。猿楽よりも人気を得ていた時代もあった。
雅楽
雅楽、とは、「雅正の音楽」、つまり、正統派の音楽、という意味である。対照語は「俗楽」。多くは器楽曲で宮廷音楽として継承されている。現在でも大規模な合奏形態で演奏される伝統音楽としては世界最古の様式である。ただし、雅楽本来の合奏形態としては、応仁の乱以降、徳川幕府が楽師の末裔(楽家)をあつめて再編するまでは、100年以上断絶していたので、平安時代の形態をどこまで継承しているかは疑問である。
篳篥のカタカナで記されている譜面を唱歌(しょうが : メロディーを暗謡するために譜面の文字に節をつけて歌う事)として歌うときにハ行の発音をファフィフフェフォと発音するなど16世紀以前の日本語の発音の特徴もそのまま伝えられており、全体的にもかなり忠実に再現されているのではないかということが推測される。 楽琵琶の譜面のように漢字で記されるものは、中国の敦煌で発見された琵琶譜とも類似点が多く、さらに古い大陸から伝わった様式が多く継承されている。
猿楽
猿楽(さるがく猿樂 )は、平安時代から室町時代にかけて流行した日本の芸能。散樂(さんがく。散楽)、申樂(申楽)とも書く。読み方は「さるがう」とも。演者(狂言含む)は座頭級のものを楽頭、太夫、一般の座員を猿楽師、または単に猿楽とよんだ。猿楽という言葉は散楽の転訛したものであるが、言語学的には[n→ru]の音変化は一般的なものではない。散楽が物真似を中心とした滑稽芸であったため、音韻上の類似も相まって、猿との間に連想が働き、遂には音変化して猿の文字をあてるに至ったものと推測される。申楽の表記は世阿弥の伝書で使われる。猿楽は本来神楽だから、神の字の旁を用いて申楽と書くのが正しいと解説している。猿楽が能楽に発展し江戸時代に武家の式楽となった後も、徳川幕府の公式歴史書、『徳川実記』では猿楽と表記された。明治に完全に改称され、以降能、狂言とされた。
白拍子
白拍子は、男性、女性とも舞うが主に、女性、子供が舞う舞でもある、このうち、遊女が男装し、男舞に長けた者を一般に白拍子とも言うようになった。
白い直垂・水干に立烏帽子、白鞘巻の刀をさす(時代が下ると色つきの衣装を着ることも多かった)という男装で歌や舞を披露した。伴奏には鼓、時には笛などを用いた。
後に、猿楽などへと変貌していった。後に早歌(そうが)や曲舞(くせまい)などの起こる素地ともなった。また延年にも取り入れられ、室町時代初期まで残った。
白拍子を舞う女性たちは遊女とはいえ貴族の屋敷に出入りすることも多かったため、身分や見識の高い人が多く、平清盛の愛妾となった祇王や仏御前、源義経の愛妾静御前など貴紳に愛された白拍子も多い。
延年
延年(えんねん)は、寺院において大法会の後に僧侶や稚児によって演じられた日本の芸能。単独の芸能ではなく、舞楽や散楽、台詞のやりとりのある風流、郷土色の強い歌舞音曲や、猿楽、白拍子、小歌など、貴族的芸能と庶民的芸能が雑多に混じり合ったものの総称である。
正確な起源は不明だが、平安時代中頃より行われたと言われている。能の原型である猿楽との関連は深く、互いに影響を与えあったのは間違いないが、起源的にどちらが先かについては諸説ある。初期には下級僧侶や稚児らにより、法会や貴族来訪の際の余興として行われたと思われる。やがてこの寺院で行われる催しに人気が出始めていくにつれ、観衆をより楽しませるために上記のような様々な芸能を取り入れていった。演じ手も、芸に熟達した僧達を中心に行われるようになっていった。これら延年を専門的に演じる僧は「遊僧」「狂僧」と呼ばれた。
能
能(のう)は、鎌倉時代後期から室町時代初期に完成を見た、日本独自の舞台芸術の一種である。現在では日本における代表的な伝統芸能として遇され、歌舞伎に並んで国際的に高い知名度を誇る。世界無形遺産。重要無形文化財。
上方舞
上方舞(かみがたまい)とは、江戸時代中期(1800年)から末期にかけて上方で発生して広まった、伴奏に上方歌を用いる座敷舞。能を基本にした静的な舞に、歌舞伎の要素を加味しており、しっとりとした内面的な舞い方をする。歌舞伎舞踊より抽象的で単純化された動きである。
念仏踊り
念仏踊り(ねんぶつおどり)とは、踊り手と歌い手が分かれているもので、自ら念仏を唱えながらおどる踊念仏とは区別される。 起源としては、菅原道真が886年から889年の4年間、讃岐の国司を勤めた時に行った「雨乞いの踊り」とされ、翌年から村人達が感謝の意味で踊ったのが今に残る。 「念仏踊り」となったのは1207年に法然上人が宗教上の争いから讃岐に流され、この踊りを見てセリフとして「念仏」を唱えるようにさせた事による。 現在でも香川県綾歌郡綾川町滝宮では8月25日に「滝宮の念仏踊」が行なわれ、全国に残る「念仏踊り」のルーツとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
お探しのものは見つかりませんか? Googleで検索してみてください! | |||
|
|||
|
| |||


